2011年9月28日水曜日
利己的な遺伝子 著:リチャード・ドーキンス
リチャード・ドーキンスの名著、利己的な遺伝子なんとかがんばって読了。
太古の海で発生したアミノ酸の集まりが、遺伝子となり、細胞を持ち、自己複製を始めた時に生物の目的は自身の遺伝子を複製することに決まった。
その目的を基本として考えると、自己犠牲を元にした利他的な行動から連想される郡淘汰という考え方は否定されるという。
郡淘汰とは利他的な行動を行う群は利己的な行動を行う郡より自然淘汰に強いという説。
すなわち、生物の目的は自分の種を繁栄させることではなく、自身の遺伝子を複製することであり、一見利他的な行動もそれは最終的には自分の利益になる利己的な行動に繋がっているのだ。
さらに、生物は遺伝子を運ぶ機械とも説く。遺伝子は生物を操っている。
この操っているというのは、知的であると認識し自身の行動は自分で決めた意志であると思っているとなかなかピンとこないかもしれないが、ドーキンスが言うには遺伝子によって現れる生物的な特徴(例えば男や女)によって操っているということらしい。
男として生まれたら、生理的に女としての行動は取れないのは当たり前だ。
性差という最もたる特徴以外の細かい特徴は、すべて遺伝子によって決まり、その特長によって行動が制限されたり、才能が開花したりすると考えると確かに操られている気がしてくる。
そして、遺伝子的に及び生物的に有利な特徴を持った個体は子孫を残す、遺伝子を複製するという目的を達成し、遺伝子の操作は完了する。
しかし、人間は避妊することによって遺伝子の目的である自己複製を抑制し抗ってもいて、知性を持つということは遺伝子に抗うことなのかもしれない・・・と思ったり。
他にも文化的遺伝のミームという考え方や、遺伝子がそれが属する個体だけでなく外の世界まで影響するといったことも語られる。
最後に・・・名作漫画”寄生獣”の中でちらっと出てきたのが読んだきっかけ。
これを読むとパラサイトは自己複製子(遺伝子)のアンチテーゼそのもの、いうなれば自己破壊子なんだと再確認。
ま、実際共食いするし、ふと誰かが思って沸いた種なので当たり前だけど。
そのアンチテーゼである田宮怜子が自己犠牲で子どもを守った=新たな生き方=進化とかいろいろ考えてしまう。
自身の生き方に疑問を感じ、新たに進化したい人におすすめの一冊。っていうのは大げさか。
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