当たり前の日常が当たり前と感じるのは何故だろう?
朝、太陽が昇って、鳥がさえずりはじめ、目覚ましがなり、朝のコーヒーを飲み会社に行く。
昼は同僚とランチ、残業をして会社を出るころには既に太陽は沈み月が顔を見せ、空には無数の星が輝いている。
家に着くと鍵を取り出して扉を開け、シャワーを浴びてご飯を食べ、そして眠りに付く。
日常はそんな当たり前のことの繰り返し・・・だが、眠りに付いたあとまた太陽が昇るという確証はあるだろうか?
物語は失踪事件が発端となって日常が崩れ始める。
そして当たり前が当たり前でなくなったと気付いた時には既に世界は崩壊しようとしていた・・・。
世界の七不思議とか、生命の誕生、物理の法則とそれとリンクする数学の定理などをうまくからめて
ある事をきっかけとした世界が終末へと向かう過程をスリリングに書いた一冊。
日本版2012といったところ(ハリウッド映画の2012は観てないけど・・・)。
主人公が知的なスーパーウーマンなのは鈴木節か。
気になったのは、物理の法則や数学の定理などが人間の言語で表されるのがおもわせぶりに
書いているが、一般システム思考入門を読んだあとでは少し滑稽に思えた。
法則や定理なんてものは観測者が”観測できた”ものの羅列というだけであり、それを観測者の言語で表せるのは当たり前だ。
逆に観測者が認識できないことは言語化できず当然であろう(だって認識できないから)。
人間がE=mc2と表して人類最大の発見なんて思っている関係式は観測者のただ思い込みであり、
創造主にとってはまったく意味の無い事象かもしれない・・・。
ま、そんな細かいことはどうでもいい。
ハリウッド版2012を楽しめた人や、終末思想物が好きな人には是非読んで欲しい一冊。
そして日本版2012として映画化希望。
だけど邦画では難しそうなのでアニメでもいいなぁ~、角川さん是非。
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