- とにかく臆病な自分
はいるが常に周りの目を意識し、自分という殻に閉じこもっている。
このエントリーを書いている最中でさえ心の中で様々な葛藤をしている。
場違いな事、間違った事、空気読めない事を言って誹謗中傷に晒されたらどうしようだとか、知識も学歴も地位もない自分がこんなとこで自分の考えを披露してなんになるんだとか。
そうして弱気になった時にこの言葉を思い出して逃げていた。
「人は自分が気にしているほど自分を気には留めていないよ」
誰の言葉かは忘れてしまったんだけど*1、これを思い出しと自我を保ち、楽になれた。
しかし上記の言葉は確かに的を得ているのだが、それは一時しのぎにすぎない。
なぜならば臆病である事は自意識過剰であると言え、一番気にしているのは自分自信であるからだ。
誰かに見られている、目立つ事をすると咎められると震え行動できず、何もしないでいるのだ。
もしくは自分自身への関心を無くす事で人は自分を気にしていないと思い込むのだ。
だが、そんな事をしても自分から逃げているだけで何の解決にもなっていない。
臆病な自分と向き合わなければ、スタートラインにさえ立てず最初の一歩さえ踏み出せないのだ。
- 変化
「自己主張の強い子だ」って言われるのを恐れないことにした - I CAN ’CAUSE I THINK I CAN (Re-again)
俺に足りないのは覚悟だ。虐げられる覚悟、晒される覚悟、叩かれる覚悟――世の中からの負の評価を受け入れる覚悟だ。
何か臆病な自分に言い聞かされているようで覚悟すれば変われるかも、覚悟して変わりたい!と心を動かされた気がした。
では覚悟するとはどういうことなのか?
Yahoo!辞書 - かく‐ご【覚悟】
かく‐ご【覚悟】
「かくご」を大辞林でも検索する
[名]スル
1 危険なこと、不利なこと、困難なことを予想して、それを受けとめる心構えをすること。「苦労は―のうえだ」「断られるのは―している」
辞書で調べるとこうあった。困難や負の評価から逃げるのではなく受け止めるのだ。
覚悟し受け止めるのは誰にでもできるだろう。本当に大切なのは受け止めた後の事。
自分の行った事全てが良い評価をもらえるなんて事はありえない。
時には罵詈雑言を浴びせられる事もあるだろう。
しかし行動しなければ何も始まらず、得られず、評価されない。
このまま逃げ続けていていいのか?答えはNoだ。
だったら動こう。自分にできる事はなにか、自分を変えらえれる事は何かを、求めて。
- 自分を変えるすべ
ここ数ヶ月Googleリーダーというツールを使って様々な人のブログを読んできた。
その中でも一番有名なブロガーであろう小飼弾氏はこう書いている。
404 Blog Not Found:虚像もまた自分
私が知っている小飼弾と、この記事を通してのみ小飼弾を知る人にとっての小飼弾には、かなりの「乖離」がある。
しかしそれもまた、小飼弾なのである。
公になるというのは、そういうことである。晒すというのは、そういうことである。
そういうことなのだ!・・・
詳しくは引用先のエントリーを読んでもらえればと思うが、blogというツールを使ってもう一人の自分を作り出す、もしくは今現在の自分を全て書き出し公に晒してしまう。
そうする事で違った自分が(それもまた紛れもない自分なのだが)見えてきそうな気がしてきた。
今まで自分が変わろうと思ったことは幾度となくあったが変わったっと思えた事はなかった。なので自分がこれからどうなるか、どうなっていくかという事はあえて考えないでおくことにする。ただ黙々とblogを更新し、自分の意見を形作っていけばそこにはmAmoというもう一人の自分、あちら側の世界かこちら側かはわからないが、成長しているであろう自分がそこに存在しているだろうから。
- まとめ
才能ある若者は既に私のず~っと前を走っていて追いつけそうにないが一年後に一年前の自分から見ればず~っと前を走っているまるで違う人のような自分に成長できればと思う。
そう誓った2008年最初の月。
*1 漫画かなんかのキャラクターの言葉だった気がする。知ってる人います?
*2 ねみんぐ! - あなたの画像を命名します。- http://nemingu.com/
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